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近代新漢語の造出過程
更新时间: 2009-2-25   来源:   点击数: 444

近代新漢語の造出過程

山東師範大学外国語学院

高 玉軍


明治維新、文明開化の幕が開いた日本は、新しいヨーロッパ文明を取り入れるために、その文明を支えているものの考え方や、その文明に伴うさまざまな術語を、漢字によって訳し、おびただしい量にのぼる明治新漢語を作り出して、日本語語彙を飛躍的に豊富し、發展させてきた。日本語語彙の近代化の過程は、西洋語の翻訳から始まったといってもいい。

それらの日本人の手による新漢語のうちの相当なものは、今世紀初頭に留日中国人学生によって中国に輸入され、近代中国語の語彙体系にすっかり定着し、現代中国人の言語生活に大いに愛用されている。中国だけでなく、これらの和製漢語訳語は、中国を介して、朝鲜やべトナムへも伝えられていった。これらの国々においては、表語形式が漢字からローマ字などに変えられたにも拘らず、音読みされ、今日の人々のコミュニケーションに用いられている。漢字による西洋語の翻訳は、近代以降日本が果たした漢字文化圏での最大の功績であったといっても過言ではない。

本稿では、近代ヨーロッパ文明を取り入れる際に起こった大量の漢語訳語造出の歴史的背景とメカニズムについて考察してみようと思う。

                         一  日本語の近代化の過程における漢語

現代日本語は、まさに漢語の氾濫とでもいうべき観を呈しているが、これらの漢語は、―体、どのような経路をへて、現代語の中に入ってきたのであろうか。

山田孝雄氏は、その者?国語の中に於ける漢語の研究?の中で、これらの漢語のよって來たるところを考察し、その源流として次の四つを挙げている。

(イ)直接又は間接の交通輸入によるもの

(ロ)漢学より伝はりたるもの

(ハ)仏教の書より伝はりたるもの

(ニ)洋学の翻訳より生じたるもの

上記の四つの源流のうち、(イ)(ロ)(ハ)に屬する漢語は、はどんど江戸時代以前に輸入された古代中国語あるいは古代中国の訳語であるのに対して、(ニ)の洋学の翻訳より生じた漢語は、文明開化以後、ョ―ロッバ文明を導入する際に、造出された新漢語のことである。

明治以降、日本の近代化が急速に行われた理由の一つとして、欧米の新しい制度、思想、学問、文物などを自国語(厳密にいえば「漢語」)に翻訳することが可能であったことがあげられる。この西洋語の翻訳は、漢字の負うところが大きい。

世界中の言語の數は二.三千といわれるが,近代社會の要求に十分に応えるだけの力を持っているものは、けっして多くはない。例えば、インドのヒンディ語のような人口の点でかなり有力な言語であっても、良い植民地時代に発展が押さえられていたものは、日常用語以外の自然科学や社会科学の用語は、民衆の生活とは無縁の英語を使用しなければならない。近代社会の要求に応えられる言語といぅとき、主として问题になるのは、語彙が近代化されているかどうかであって、發音や文字ではない。

近代の社会は「汽車」「電氣」など、數多くの物質文明の進步にともなう新しい語彙を必要とし、また、「議会」「投票」など、新しい社会制度に応じるための語彙を必要とした。―方、それは単に話し言葉だけでなく、書き言葉、文章語として記録される必要があった。文章語がなければ、行政も経済も教育も成り立たず、近代社会としての運営ができない。また、近代の社会は、一面では方言の対立を乗り越える民族的ないし国民的な言語の成立する時期でもある。

日本語近代化、歐米語翻訳から始まったといってもいい。日本では、近代化の遅れを取り戻すために、幕末以来、非常に数多くの言葉が造られ、あるいは外国語から取り入れられた。この場合、主役となったのは第一に漢語、次には外来語であって、和語はそれほど大きな役割を果たまかかった。

国立国語研究所が、現代の雑誌九十種について行った語彙調査があった。それによれば、 明治以後新しく造出されたことばには、圧倒的に漢語が多い。外来語は絶対量としては少ないが、その増加は著しい。

     和語    漢語   外来語   混種語    合計

明治初期    7         112        ---          3           122

明治前期    5          24         1           1            31

明治後期    2          37         1           1            41

大正期     ---          6         10          1            17

昭和期      2           1         4           2             9

合計       16         190         16          6            220


表に示されているように、漢語が新しく造られたのは、明治初期が圧倒的であって、明治時代は他の語種よりもずっと多いのだが、大正、昭和になると、外来語に追い抜かれてしまい、新しく増える傾向が鈍っている。すなわち、明治時代が漢語の時代であったのに対して、大正、昭和時代は外来語の時代に入ったといえよう。

         二 漢字による欧文訳語大量造出の理由

近代語の成立に当たって、このように多くの漢語が造られた理由は、一体何だろう。明治の初期、西洋文明を取り入れる際、何故大和言葉を用いて新時代の造語をしなかったのだろうか。確かに、原则としては、徹底して大和言葉を用いて造語することも不可能でもなかったのである。しかし、歴史はそういうように展開しておらず、怒濤のように押し寄せてきた西洋文明を吸収するために、これまで漢語訳語による仏教文化の吸収とまったく同じく、漢字、漢語に頼るところが大きい。それには、二つの歴史事実があると思われる。以下は、内的理由と外的理由の両面からそれを考察していきたいと思う。

1漢字造語の内的理由

内的な理由としては、まず、江戸時代の学問的な文章が漢文または漢文直訳体の文章だったことなどが指摘できる。

近代の初めまで、日本の公用語は少なくとも書き言葉は中国語(いわゆる漢文)であったという歴史事実を忘れてはいけない。江戸時代の知識人は、すべて漢文が読めた。この

「漢文」というのは、形式的には中国語であり、同時に実質的には日本語であるという奇妙な存在である。すべての中国古典語の文章が「漢文]式に読める以上、[論語]や[史記]をはじめ、中国の古典はすべて同時に潜在的には日本語の文章でもある。したがって、そこに出てくるすべての単語 (漢語)は潜在的にはすでに日本語の単語でもあるということになる。こうして、過去二千数百年間の中国古典に出てくるすべての単語のなかから、近代ヨ-ロッパの文献の訳語として選ばれたのはごく自然なことである。そして、明治に入って澎湃たる西洋文明の流入に出会っても、これに圧倒されることなく、十分にそれに堪え、自らの思想や世界観で、これを解釈し、受容することができたのである。

―般に、従来の語彙体系とまったく無縁に新語を造出することは離しいため、何らかの意味で既存の語彙体系に基づいており、それゆえにこそ、造語もわりあい容易となり、享受する側の理解も可能であったといえよう。したがって、近代の新漢語のなかには、新しく造られた言葉と並んで、すでに古い漢籍の中に用例があるものに新しいニュアンスをこめて使われるようになったものが数多くある。

外来文化の受容は、その用語の造出が最も大事であることはいうまでもないが、それを享受する大衆の言語生活に浸透し、彼等に受入れられない限りは、その効果が発揮できないわけである。明治の大量新漢語の造出に成功した秘密の一つは、実は、それに先立つ江戸川代から営々と続けられてきた漢文教育の普及にあったと思われる。

江戸時代に漢文の占めている地位について、和辻哲郎がその著?日本論理思想?で次のように述べでいる。

十七世紀十八世紀を通じて鼓吹されてきた儒学 (漢語)尊重の波は、十九世紀にいたって、全国的に侵透し、武士の基礎的教養はシナの古典によって与えられた。漢文に対する理解力、漢文をっくる能力などもいちじるしく高まり、それに対応して漢文に対する愛好の念もいちじるしく広まっていた。

そのような状況の下に、日本が鎖国の状態にあっても、江戸の關学者たちは、学術蘭書を漢文(漢字)によって翻訳することに成功したのである。そして、?解体新書?の翻訳出版によって、漢語訳語の生産という形で日本語に大きな刺激を与えた。日本人が漢字を知って久しく、ほぼ自由にそれを快いこなすようになった能力の庁蓄が、蘭学の翻訳、そして明治期のヨーロッパ文明の吸収にいたって、いちどに力を発揮したともいえるのである。

次に、漢語の持つ論理性にあることが指摘できる。

日本人自身がすでに過去に経験してまたように、論理的な概念を取り扱う学術研究は、純粋な日本語によってより、むしろ、日本語化した中国語―すなわち漢語―によって、より多く行ってきており、深遠な儒教や仏教などを学ぶ際にも、漢語を実際に利用してきた。

英語における高級語彙(抽象的な概念や学術用語)のほとんどがギリシア語であると同じように、日本語における抽象的な概念や学術用語はこれまでほとんど漢語である。深遠な儒教や仏教教義などの吸収において漢語が実際に利用されてきたのは、その反映である。また、江戸時代の蘭書翻訳にあたって蘭学者たちが、オランダ語の内容を、その語源や語構成をはぎとったむぎ出しの概念としてとらえ、それを漢字の表意性を活用して表すのに努めたのも、漢語の論理性を利用して、術語を大量に造出できるという力点があったからである。蘭学者たちのこの方法が幕末明治の英学時代にも受け継がれて、おびただしい新漢語の造出に成功したのである。

その他、漢字による造語が簡潔性及び自由性を持っていることも指摘できる。

漢語は―語―語が原則として―音節からなり、また、文法上は孤立語であって、語相互の関係は語の配列の仕方によって示されることが多い。そのため、漢語の表現は簡潔という特色をもつ。これは、大和言葉の及ばない点である。また、漢語は造語力に富み、複合による熟語の構成が自由である。実際、明治の新漢語のうち、日本人の手による訳語の多くは、中国洋学書、特に英華辞書類の訳語(厳密にいえば、語の解釈文)、例えば、「特別之権利」というところを「特権」との二文字に短縮してできあがったものである。

漢字を配合して日本人が製造したと見られる訳語は、量的に最も多く、江戸時代の蘭学によって造られた組織的な科学技術用語をはじめとして、明治期に専門分野の術語を決める際にも主としでこの方法が採られた。

    2、漢字造語の外的理由

漢字造語の最大の外的理由として、キリスト教宣教師たちの翻訳語の影響の大きいことが指摘できる。

ヨ-ロッパのアジア進出に伴って、キリスト教布教のために中国に渡来した宣教師たちは、布教の必要から宗教書のほかに、地理、医学、科学技術など、多くの漢訳書を出版した。また、後にやって来る宣教師たちの語学の勉強のために多くの英華字書も編纂された。辞書の編纂や聖書、地理書などの翻訳にあたって、数多くの漢語訳語が造出された。―方、 中国よりやや遅れて出発した日本の英学が、新しい訳語を自ら造るよりは、これらの中国洋学書、英華字書の訳語を取り入れたほうがむしろ当然なことであった。

中国を始め、東アジアにおいて、西洋近代の科学技術に関する書籍を翻訳するようになったのは、キリスト教宣教師が渡来した後であった。                         利瑪寶(Matteo Ricci)が、はじめて明へやってきたとき、中国人から信頼と親しみを得ようとして、僧服を纏い、天竺 (当時はインドあたりを西洋という)渡来の僧と名乗ったこと、ついでにその装いを儒服にあらため儒者を名乗ったことは、いずれも彼独特の現地適応主義の現れであるといわれているが、こうした態度は、彼が中国においてはじめて世界全図を造る際にもみられた。彼は、アトランティス海などのような、音を訳す以外には中国化が困難であった地名までも、あえて本音によらず、中国流に「大西洋」と翻訳し、目らもまた「大西洋人」ととなえた。

利瑪寶の訳語主義がそれ以後の中国へ渡来した宣教師たちに受け継がれ、訳語主義として布教していた。中国に在留の宣教師たちは、宗教書『天主聖教実録』  (羅明堅)、『天主実義』 (利瑪寶)のみならず、『坪興万国全図』 (利瑪寶)、『職方外紀』  (文儒略)、『坤興図説』(南懐仁)などの地理書やその他、自然科学などヨーロッパの学術に関する種々の書物を漢訳し、あるいは漢文で著述した。カトリックの宣教師に遅れて布教を開始したプロテスタントの宣教師も漢訳書を精力的に刊行した。それは『地球説略』『地理会志』『英国志』『万国公法』『博物新志』工学浅志』『内科新税』などのような地理書。歴史書。法学書。科学書。医学書など、多くの分野にわたっている。これらの洋学書の多くが加点。復刻され日本で刊行されて、その中の多くの漢語訳語が近世の漢語としてすっかり日本語の語彙体系に定着されたことは、すでに多くの研究者たちの研究によって明らかである。

漢訳書のほかに、宣教師たちは布教上の必要から数多くの英華辞書を編集した。幕末から明治にかけて、日本人が英語という未知の外国語を訳す時には、大いに利用された。その中で、明治新漢語の造出、特に明治期の和英辞書の成立に最も貢献したのは、プロテスタントの宣教師、ロブシャイドが編集した?英華字典?(1867―1869年)である。

日本は13世紀以来、中国との貿易における輸入品の筆頭は書物であり、その中に相当な数の中国洋学書や英華辞書類が日本に輸入されたと考えられる。こうした書物の輸入に伴うキリスト教宣教師たちの手による中国語訳の借用は、明治10年頃まで続いており、その後の日本人の手による大量造語の基礎がすでに築かれていたわけである。

漢字造語の外来理由として、漢字の世界性も指摘できる。

近代西欧の力が世界史に登場してきた時、東アジア世界では少なくとも漢語が書面語 (書き言葉)として中国を始め、日本、朝鮮、ベトナムなどの国々で使用されている事実があった。これらの漢字文化圏の国々は、言語としての類型構造をまったく異にしながらも、漢字語を共有していた。そのため、西洋文明を紹介する際に、漢字による訳語が東アジアの国々に受け入れやすいという認識は、当時の宣教師たちに十分あったようである。

このへんの事情はついでは、最初に中国へ宣教にやってきたキリスト教の宣教師利瑪寶は、1608年3月8日付の総長宛書翰に、漢字は日本にも通用するので、漢字で書いた書物が日本でも十分に役立つことを知って大いに慰められたと書いていたことからも伺われる。

ちなみに、近代の始めに、西洋文明を取り入れる際に造出された大量の漢語訳梧は、東アジアのいわゆる漢字文化圈の国々の共通の財産となって、現在でも基本用語として愛用されている。もちろん、中国や日本などの漢字使用国を除いて、朝鮮やべトナムなどの国のように、すでに表語形式として漢字表記からローマ字表記やハングル表記に変わっても、これらの漢語訳語が音読され、今日に至るまで使用されていることには変わりがない。

   三.新漢語の出自とその造出の方法                     日本語の語彙は、明治期のいわゆる啓蒙期に著しく変容して、その量は栢当なものとなっている。この時期の代表的な辞典であるへボン(J.C.Hepburn )の?英和語林集成?の初版 (1867)から三版(1886)までの20年間に増補された語は実に14846語もある。もっともこれらの語のすべてが新語というわけではない。「古事記。万葉集および物語類に見られるもので、著者の目に止まって、古臭くて今は廃れた語をすべて挿入した」というものがあるにしても、驚異的な数といえるだろう。その中では、漢語の増加は最も多く、6592語もある。このことについては、ヘボンはその序文に次のように述べている。

あらゆる分野における日本語の驚異的かつ急速な変化のために、辞書の語彙をこれ

に合わせて増補することは困難であった。新語を集め、検討し、分類し、定義するこ

とに努めたが、もちろん、もれたものも多い。

ここに和英の部に―万語以上を増補しだ。医学、化学、植物など各部の純専門用語

を加えれば、もっとも増えるであろうが、これらは日常―般のものだけに限ることに

した。これらの新語の大部分は漢語である。

ところで、こうした急激な語の造出はどうして行われ、また、可能だったのであろうか。以下はその訳語の出自とその造出の原動力となった訳語の方法について、いくつかの先行研究をふまえながら、検討して見たいと思う。

 1近代新漢語の出自                                 近代前漢語はその出自から見れば、江戸時代の蘭学の訳語、幕末明治初期の中国洋学書や英華字書から借用した訳語及び明治期の日本人の独目の訳語の三つに分けることができる。

1-1. 蘭学時代の訳語

蘭学の開拓した分野は、語学をはじめとして天文、地理、博物、医学、航海、砲術などで、主として自然科学や技術の方面である。この蘭学時代に造出された医学を始めとする多くの科学、技術用語が、そのまま明治期の英学に受け継がれ、近代新漢語の成立の基礎となっていることは、杉本つとむ氏などの研究で明らかになっている。

特に、蘭学者たちの訳出法が明治期の日本人の手による訳語の大量造出に大いに利用された。

1-2中国洋学書や英華辞書類から借用した訳語

前にすでに触れたように、近代訳語に最大の供給源は中国洋学書と英華辞書などの訳語である。

中国洋学書からの借用については、佐藤亨氏の『近世語彙の研究』や『幕府明治初期語彙の研究』などの―連の研究がある。氏は『職方外紀』(文備略)や『坤興図説』(南懐仁)など中国初期洋学書と、『地球說略』(偉理哲)や『万国公法』 (丁題良)などの中国後期洋学書を資料にして、これらの洋学書の語彙と日本語語彙との關聯性を検討することによって、日本の近世、近代新漢語の多くが中国洋学書から借用したものであることを明らかにした。

英華辞書類の中で、明治期の英和辞書に最も影響を与えたのは、ロブシャイドが編集した『英華字典』である。森岡健二氏はその著『近代語の成立――明治期語彙編』において、明治期の翻書訳や英和辞書に与えた『英華字典』の影響について、次のように指摘している。

明治期には、日本人の作った英和辞書は、『英和対訳袖珍辞書』系と『附音挿図英

和字典』系のものに二分されているが、前者はオランダ語を媒介とした辞書で訳語も

古く、その後への影響がほとんど見られないのに対して、後者のロブシャイドの『英

華字典』の訳語や新語を取り入れて、その後の辞書へ決定的な影響を与えたといって

いい。その点で、ロブシャイドの『英華字典』は、日本における訳語形成の土台とし

ての役割を果だした。

さらに、氏は、柴田畠吉。子安岐の『艦掴英和字彙』(明治六年)と『英華字典』との訳語借用関係について詳しい研究を行った。『艦掴英和字彙』は、明治初期の英和辞書の中で最も広域にわたって語彙を採無し、従来の句訳を脱して単語による訳出に成功した画期的な和英辞書であって、その後の英和辞典に与えた影響はすこぶる大きい。その研究によれば、『英和字彙』の見出し語中、『英華字典』と共通の訳語を持つものは47.2%に及び、したがって、『英華字典』からの借用語総数は約25000と推定される。

もちろん、多量に借用されたこれらの漢語訳語の中には、日本語として根を下ろすことをせずにその姿を消しだものも多かった。しかし―方、その中の多くの訳語がその後の西洋語の翻訳に用いられ、近代語として日本語に帰化し定着した結果、今日のコミュニケ―シンョンに資している。

1-3日本人獨自の造語

以上、近代新漢語に蘭学時代の訳語をそのまま受けついだり、中国洋学書や英華辞書類から借用したりしたものが多数含まれていると述べてきたが、実際は、明治時代に日本人によって案出された訳語が最も多い。

日本人の手による訳語の造出がすでに蘭学時代から始まって、医学をはじめとした多くの科学、技術用語がこの時期に造出されたが、法律、哲学、経済、教育、郵政、金融など幅広く、且つ大量に造出されるようになったのは、明治期に入ってからのことである。この時期の訳語造出に大きく貢献した人として西周、前島密、箕作麟詳などが挙げられる。

西周は哲学用語の造出に大きく貢献した―人である。彼はその著『百―新論』(1874)にフィロソヒ-を「哲学」、『心理学』(1875―1876)にメンタルフィロソヒーを「心理学」と訳した。また、今日の哲学の基本語彙どなっている現象 (フェノメノン)。客観 (オブジェクト)。主観 (サブジェクト)。帰納 (インダクション)などの語は、この「心理学」の中に随所見つけることができる。このほか、論理学 (ロジックス)。倫理学 (エジックス)美術(ファインアーツ)などのことばも、西が追った訳語とされている。

前島密は日本の郵便制度の創立に大きく貢献した人で、「郵便」をはじめ、「切手」「為替」などの郵便関係の訳語を案出した。箕作麟詳はフランス民法を日本語に訳し紹介する際、「民権」など、法律用語を多く造ったといわれている。

2 新漢語の造出の方法

幕末から明治にかけて、日本人は大量の訳語を造出し、語彙を更新したが、訳語を造出する方法としては、おおよそ中国の古典や英華字書に典拠を求めるという借用の方法と、日本人自身が造語するという二つの方法が代表的である。

2-1 中国の古典や英華字書からの借用

ここでいう「借用」とは、既存語を新しい意味に転用したり、他の言語の語彙 (訳語)をそのままとりいれることを指すものである。

漢語は、長ぃ歴史を辿じて、日本語のあらゆる部分に食い込み、公用語はもちろん、民衆の日常語にいたるまで、大量に使用されていることはいうまでもない。外国語の翻訳の必要が生じた場合、まず、これらの在来の漢語で置き換えたり、既成の漢語をその意味を限定して利用したりすることは、もっとも自然な勢いであろう。例えば、1984年に出版された『漢語外来詞詞典』  (劉正琰、高名凱等編、上海辞書出版社)に日本語からの借用語が892語収録されているが、「奥巴桑」(おばあさん)、「榻榻米」(たたみ)のような音訳語や「俳句」「浄瑠璃」のような等価翻訳の不可能な語、そして、西洋の度量衡を表す語を除いた約855語のうち、中国の古典にその典拠が確認できる語が146語で、全体の17%を占めている。したがって、西洋語に訳語をあてる際に、これらの在来の漢語がその重要な供給源となっていることは疑えない。

明治初期の訳語法としていく通りもの方法が試みられたが、日本の近代訳語の成立に大きく貢献したのは、宣教師たちの手による英華字書類からの借用という方法であった。これは、もっとも簡便な新語造出の方法である。

英華字書類からの漢語訳語の借用といっても、その借用の仕方には種々のものがあるが、漢語訳語をそのまま借用ずる方法と、日本語として受け入れにくい漢語訳に何らかの操作を加えた上で借用した。つまり、英華辞書類の漢語訳語を―部修正する方法の二種類に大別できる。漢語訳語を修正する際の主な方法として、

a):「文字の省略。転倒」

原語                      <英華字典の訳語>       <英和字彙の訳語>

Description                   大概之論       -->           概論

Mortal-power                  人之権         -->           人権

Swell                      加増          -->            増加                close  Close                         閉密閉        -->             密閉

b):「二字の組み合わせ」

原語           <英華字典の訳語>        <英和字彙の訳語>

Quick lime                  石灰、生灰        -->          生石灰

Sponge                         海絨、水綿       -->           海綿

Inhabitant                  住者、居民        -->          住民

c):「文字の入れ替え」

原語           <英華字典の訳語>        <英和字彙の訳語>

Cash                   現銀             -->          現金

Museum                博物院          -->          博物館

The English Ianguage  英話            -->          英語

などが見られる。

2―2 造語

ここでいう「造語」とは、幕末から明治にかけて、日本人の手に成ると思われる漢語の造出を指すものである。

漢字を利用して、新漢語を造出する方法は、すでに江戸時代の蘭学者の間で行われ、科学。技術用語は蘭学時代にほぼその基礎ができたと思われる。しかし、鎖国の解除と同時に西洋文明が滔セと流れ込み、日本は国を挙げて西洋文明の吸収に乗り出した。西洋文明を吸収するにあたって、何よりも必要なことは、西洋の言葉を日本語に翻訳することである。すべての制度、思想、学術、技術、さらには服装、料理のような生活習慣に至るまで西洋の概念を日本語に移し換えないかぎり、これらを日本に持ち込むことは不可能だからである。

しかし、訳語の最大の供給源となる洋学書や英華辞書類はイギリス人やアメリカ人の宣教師たちがキリスト教布教の必要から編集されたもので、かなりの偏りがあるがゆえに、開化の初めからあらゆる領域を開拓しようとした日本人には、当然、範とすべき漢語訳語を発見し得ない場合も少なくなかったのである。そして、それぞれの領域において、日本人自身の手で訳語を施す必要に迫られることになった。

新しい訳語を考案する際の方法に、森岡氏のいう「和語に対する漢語の語基」がある。つまり、まず和語で考え、それを音読して漢語に置き換える方法である。日本人にとって、ものを考える際の基本になっているものは、何といっても和語であり、このことは造語の根底にも和語が作用していると考えていい。ただ、和語の大部分、特に概念を含む和語には漢字が当てられており、その漢字には音訓両様の読み方があるため、和語による造語が漢語に転化する可能性が強いのである。例えば、「返事」「出張」「心配」という語は、初め「かえりごと」「ではる」「こころくばる」と訓読されたものが、後に音読され漢語になるという、いわゆる和製漢語といわれるものである。

この方法が蘭学時代の訳活の訳出にも見られた。オランダ語の梧構造は漢語に似ていて、二つあるいは二つ以上の語基の組み合わせからなるものが多い。したがって、日本語に訳す際、まず単語を語基レベルに分解し漢字を与えて、それぞれの語基に訓をあてていけば、必然的に日本人に受け入れるような復合語の訳語が出来上がるわけである。例えば、Blind-DarmをまずBlind(盲)とDarm(腸)とに分解し、それを組み合わせて「盲腸」と訳す方法である。

さらに、西洋語の語尾や按接辞に漢字を当て、訳済みの漢語との合成によって、容易に三字漢語訳語を造出し得た。現代日本語においては、漢語語基に「~的、性、式、学」のよ

うな接尾辞や、「不~」「無~」など接頭辞のついた語形が多く行われているが、これも明治期の日本人の残した大きな功績だといえよう。この接辞による語の大量造出の方法が中国語に与えた日本語の影響の一つだとされている。

おわりに

以上、漢語訳語の大量造出の歴史的背景及びそのルーツや訳出の方法について考えてきたが、過去における既成の漢語は、漢語訳語の重要な供給源ではあったが、怒濤のように流入した西洋文明の新概念を言い表わすのに到底間に合うものではなかった。したがって、中国洋学書や英華辞書類から原形のまま借用したり、新たに訳語を案出したりすることによって、新漢語を急速に増やし、近代語彙の基盤が築かれているのである。そして、漢字を通して漢字文化圈の国々に借用され、東アジア諸国の共同の精神的財産となっているわけである。

(注)

(1)宮島達夫  [近代日本語における漢語の位置](≪教育国語≫16号  1968年)

(2) 斎藤 毅  [明治のことば―東から西への架け橋]52p平凡社  1960年

(3)司馬遼太郎  [≪明治≫という国家](上)20p 日本放送出版協会  1998年

(4)松井利彦  [漢語の近世と近代]  ([日本語学]1987年2月号)

(5)蘭学時代の訳語についての研究に、杉本つとむ氏の≪江戸時代の翻訳家たら≫

(早稲田大字出版部、1995)、斎藤静氏の≪日本語に及ぼしたオランダ語の影≫(篠崎書林、1967)などがある。

(6)森岡健二  ≪訳語の変造≫([東京女子大学付属比較文字研究所紀要]第1巻)

(7)森岡健二  「近代語の成立―明治期語彙編―」61p明治書院 昭和44年9月

(8)現代中国語の語彙は、近代以前の語彙と比べて、二字熟語の増加と接辞的要素の発

達という二点において特徴づけられる。二字熟語化の傾向が古代にも見られたが日本の近代訳語の借用によって、その増加を加速させた。それに対して、接辞による造語は近代になってからのことで、日本語からの借用によって発達されたものと見なされている。

主な参考文献:

⑨沈  国威     ≪近代日中語彙交流史≫    1993.3笠間書院

③杉本つとむ   ≪近代日本語の成立≫      1960桜欄社

斎藤  毅     ≪明治のことば≫           昭和53.4講談社

⑨森岡健二     ≪近代語の成立―明治期語彙編―≫     昭和44.9明治書院

[付記]

小稿は北海道教育大学留学中、夏井邦男教授のご指導のもとに書いた修士論文から一部を抽出してまとめたものである。



 


 
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