コトバと文化
(日本と中国を中心に)
孫 宗光
北京大学
は じ め に
私の専攻は「言語文化学」というあまり耳慣れない学問です。実は私は「文化言語学」と言いたいのですが、一般にそういう名称が行われていないので慣例にしたがい「言語文化学」としておきます。読んで字の通り言語と文化の関係を追求する学問です。日本では大正の末期に垣内松三という先生が言語と文化の関わり合いの重要性について話されたことがあり、話題になったのですが。その後。国粋主義的国語教育の波に呑まれ立ち消えてしまいました。戦後嗫び撮かれるようになり。金田一春彦、西尾実、芳賀桜、鈴木孝夫らの諸先生がこの問題を取り上げておられますが、あるいは具体的な一二の例を挙げられるか、あるいは構想を述べるにとどまりいまだに体系化されておりません。「言語文化」という言葉に関しては、英語にはlanguagc.and.cultureという言い方があり、language.and.culture(言語と文化)とはニュアンスが違い、いくらか熟合して日本語の 「言語文化」にやや近い意味であるようですが。やはり学問として体系化はされていないようです。「言語文化」という言葉は和製漢語で中国にもありませんでした。もっとも、中国でも最近 「文化語言学」という本が出版されましたが、これは文化人類学の中の言語部分の研究から影響を受けて始まった新しい分野で。体系化されたものでは更にありません。元東大教授の古田東朗先生が放送大学のために、「日本言語文化学」という本を出されましたが、公家言葉。武家言葉。女房言葉などについて述べられたもので、確かに言語文化学の一側面に触れたものには違いありませんが。私の考えでいる言語文化学とは性質を異にしでおり、その意味では本質に迫ったものではありません。総じて世界各国でも始まったばかりの、ほやほやの領域のようです。そのうえ「言語文化」という言葉の定義も学者によってまちまちです。それはビのような視点から、どのような領域にスボットを当てるかによっで、その内容も変わってくるものだと思います。ここではそれぞれの定義について云々するのが目的ではありませんので省略いたします。だだ 「言語文化」は「文化」の一部であって、―社会の文化の言語の側面であると言うことだけ申し上けておきます。そしで、私がお話するこは二つの文化、日本の文化と中国の文化がそれぞれどのように言語と関わり合っているかと言うことについてです。
私が数年前日本へまいりましたとき、テレビを見ていて 「日本文化センター」というのがありました,きあ大変、日本の文化を集中的に紹介すとところ、文化の殿堂だから是非見に行かなくではと思いましたら、通信販売の会社名でした,日本では戦後間もない頃 「文化住宅」というのが盛んに建てられました。どんな立派な文化的住宅かと思いましたら、ブレハブ住宅のことでした,そのほか文化生活、文化包丁、文化映画、文化財、無形文化、埋蔵文化、文化放送、文化人などなど、私たちの回りを見回すと何と「文化」の多いことかと驚かされます。たしかに「文化」という語彙は広い意味を持っていますが、どうも日本の方々は「文化」という言葉をあまりにも粗末に扱いすぎているように思われます。中国では「文化」という言葉をもっと大切にしているようです。日本と同じように「日本文化」、「文化と芸術」というような意味で使われる以外に「学問、教養」といった意味でよく使われます。たとえば 「あの人は文化がないから、あんなことをするんだ」とか「人の上に立つためには高度な文化を身に付けなければならない」とかいいます。即ち「教養、学問」のことです。また「文化程度」ということばは「学歴」という意味で使われています,
日本語と中国語
おなじアジアの国の中でも文化的に日本と中国はとくに密接な関係にあるように考えられています。たしかに日本語の中には多くの漢字があり、生活習慣の面でも多くの類似性が見られます。しかし、文化人類学の上から見て韓国(朝鮮)、モンゴル、ベトナム、ラオス、カンボジャ、タイ、ミャンマーなど東南アジアの国々の中には日本以上に中国と密接な関係を持った国々がたくさんありますから特に中国と日本を取り立てて論じる根拠はありません。もちろん日本文化における漢文化の受容について、あるいは文化史的比較研究なども大切な分野であることには違いありませんが、言語学の角度からの比較対照研究の中で文化がいかに関わってきているかについで調べることはより現実的意味を持つものと思います,中国語(正確には漢語)の周辺言語の中には、日本語より更に近い関係を持った言語もたくさんあります。日本と中国の関係をよく「同文同族」などと害言いますが、言語学上日本語と中国語とではまったく違った語系に属し、民族学的にも同―民族ではありません。もっとも長い歴史的交流の中で多くの影響を受けてきたことは想像に難くないことです。中国語は漢語チベット語系の孤立語であり、日本語は太平洋語系(ポリネシア,ミクロネシア,インドネシア語系)の影響を受けてきたとは言え、基本的にはウラル.アルケイ語系の膠着語であり全く異なった二つの言語です。漢字は文字がなかっこ大和言葉が表記の必要上借用したものが、仮名文字を作っでからも便宜上留用したものです。大和言葉は音節が多い(長い)ので仮名で表記すると大変長くなりますし、段落がつけにくいという欠陥を持っています。たとえ句読点をたくさん付けても読みにくい。もし新聞が全部仮名書きだったとしたら、毎朝の新聞が50ベ―ジくらいになるでしょうし、朝の忙しい時間に斜め読みすることなど到底不可能なことでしょう。そうした点で日本人の祖先が漢字を残したということは実に賢明だったと言えます,もう一つ、漢字は表意文字であると言うことです。字が目に入った途端意味がわかります。こんな便利な漢字を利用しないという法はありません。そこで漢字仮名交じり文が日本語の書き言葉として定着したのです。しかし。日本人は決して漢字語彙をそのまま受け入れたわけではありません。日本語の文脈にあわせて改良したのです。その最も顕著なものは転倒。...ひっくり返すことでした。中国語では「和平」ですが。日本語では「平和」と漢字が転倒しています。「命運」は「運命」、「会面」を「面会」、「日朗」を「期日」。「日後」を「後日」、「減軽」を「軽減」、「界限」を「限界」、「滅絶」を「絶滅」、「痛苦」を「苦痛」、「士兵」を「兵士」、「介紹」を「紹介」、「畜牧」を「牧畜」、「糧食」を「食糧」、「借貸」を「貸借」、「買売」を「売買」。「限制」を「制限」、「縮短」を「短縮」、「偵探」を「探偵」、「収買」を「買収」、「戦敗」を「敗戦」、「式様」を「様式」など拾ってみると数限りなくあります,どうしてこういうことになったのでしょうか。理屈から言うとどうも中国語(漢語)のほうが理に適っているようです。「和」があって初めで 「平」が保たれるであろうし、「命」の 「運」であって「運」の「命」ではなさそうです,また「士(官)」が「兵」の上に位するのは当然でしょう。それなのにな,どうして日本語では漢字が転倒してしまうのでしょう。一つ考えられることは発音から来ているのではないかと言うことです。日本語の発音構成は大変単純で、一つの子音と,一つの母音で―音節を構成します。またァクセントにおいても高低の二段階しかなく(平安朝ころまでは三段階あったようですが)。それも地方によってまちまちで日本の方言学の主要な研究対象の―つになっていますが。日本語では多少アクセントが違っていても意思の疎通にはあまり影響しません。それに反して中国語の発音は極めて複雑です,母音だけでも単母音、複合母音。鼻母音、巻舌母音とあわせて37ありまず。それに21の子音が組み合わさり複雑な音韻を構成します。アクセント(四声)も四段階あり、これを間違えるとまったく異なった字を表すことになります。例えば「ma」という音も一声では「媽」。二声では「麻」、三声では「馬」。四声では「罵」ですからアクセント(四声)を間違えると母親であるべきところが馬になったりしてとんでもないジョークが生まれてしまいます,また、haohuaの音を二声で読むと「豪華」になり、三声で読むと「好話」(甘い言葉)」になって全く意味の疎通が出来なくなります。ですから同音、同声(アクセント)語が派生する機会が極めて少ないのです。日本語では発音が単純なため多くの同音話が派生します。例えば「シフク」という発音の語彙は、ちょっと辞書を開いてみても「私腹」、「雌伏」、「仕服」、「至福」、「紙幅」と沢山あり、さらに「私服」を加えるとますます区別がつきにくくなります、「カイメン」も既に「海面」、「海綿」があり「会面」では困るので 「面会」に、「私兵」や「紙幣」などと区別するために「士兵」ではなく「兵士」に転倒させたのでしょう。これらの音韻の重複を避けるために転倒きれなことも原因の一つと考えられます。また発音構成上読みにくい、転倒したほうが読みやすいと言った和語音声構成上の慣習も原因の一つのように思われます。しかし、最も大きな拠所はやはり日本人の発想、大和言葉的発想がそうさせたように思われます。漢語が日本に移入された時点では、そのままの語順だっだのが漢語仮名交じり文の形成の過程で上述のような幾つかの原因が絡み合っで変化していったように思われます。もっとも中国語(漢語)の方でも時代の変化にともない転倒したものがないではありませんが、その多くは二つあったものが一つに統一きれたもののようです。「平和」という語も中国の古典語の中にあったのですが、「和平」のほうが理に適っているということで「和平」に落ち着いたようです。このような例は中国語の中にも少なくありません。同じようなことが日本語の中でも当然発生していたので、例えば「情感」という語は昔「情感がにじみ出る」などと使われていましたが、「情(じよう)」だけで十分その意が達せられたので、別に「感情的になる」と言った意味を表すために「感情」に転倒して残ったのでしょう。中国では「情感」、「感情」両方使われていますが、意味が多少違うようです。「情感」は日本語の「感情」に近く、「感情」は「情」、「気持ち」と言った意味で使われます。「那两个人感情很好(あの二人は大の仲良しだ)」と言ったふうに使われますともあれ漢字.漢語の処理―つとってみても、二つの異なった文化がもたらす結果が如何に違うかがお分かりになったことと存じます。
文化の違いと表明の違い
日本では悪いことから手を引くことを「足を洗う」と言います。しかし、中国では「手を洗う」と言います。日本人は並みのうえで生活していますから「足を洗わず」に部屋に入るわけにはまいりません,中国人はたたきか土間の生活をしていますから土足で部屋に入って一向差し支えありません。「足を洗う」文化的背景がないから日本語の「足を洗う」意味は派生してきません,中国では悪いことをするのは「手」であり、他人のものを失敬するのも、ギヤンブルに賭けるのも「手」であるから、「手を洗う」ことにより悪事から手を引くことになるのです,日本人は「目の上のタン瘤」が気になるようですが、中国人は「眼中钉」(眼の中の釘)は許せません。日本人は無事であることを期待する無意味さ、危険性をたとえて「猫に鰹節」と言いますが、鰹節のない中国では「虎口之肉」(虎の口の中の肉」といいます。日本語でよく「陸に上がった河童」といって成す術のないことを言いますが、中国では「虎落平阳」(平陽台に降り立った虎)といってその猛威を振るう場がないたとえとしました、また、日本では「湯水のように金を使う」と言って金使いの荒いことのたとえとしますが、四方を海に囲まれ、いたる所に泉が湧き出て、温泉が溢れ、降雨のボテンシャルの極めて高い日本では「湯水のように」と形容できますが、中国のようにほとんどの内陸部では、どこまでも黄土高原が続き、降雨量が極めて少なく乾燥していて「水」は貴重な存在です,「湯水のように」使うわけにはまいりません。しかし。「土」ならいくらでもあります。そういう文化のもとでは「揮金如土」(土のごとく金を使う)と言います。また、同じことを訳すときも日本と中国では訳が違ってきます。聖書の中の言葉で「新しい酒を古い皮袋に入れる」というのがありますが、中国語では「穿新鞋走老路」(新しい靴を履いて元来た道を歩く)あるいは「換湯不換药」(煎じ薬の水は入れ替えたが薬草はそのままだ)と訳します。このように文化の違いは、ことばの表現の上でも大きく違ってきます,ことばの表現は、その内在的意味の微妙な違いが、誤解を生むことがよくあります。「水に流す」ということばは日本人の好んで使う言葉で、歌舞伎の「夜打曽我狩場曙」の第二幕に出てきますが、なにか度量の大きいキッブの良さを表現するのに使われます。これを中国語に直訳しますと「付之流水」となり、その意味は「不咎既往」(過去を咎めない)ということで過去に何もなかったということではありません。広島の皆きんが原爆のこと「水に流せる」でしょうか。過去を忘れるようなことは誤解を招くもとになることを銘記したいものです。「申し訳ない」を中国語にすると「対不起」になり、電車の中で人の足を踏んだときくらいに便われるごく軽い意味です。日本語では「かたじけない」といった感謝の意味にさえ使われます。国際政治の場などで使ってはいけない言葉なのです。言葉の表現のデリケートな違いが誤解を招くことがよくあります。同じ漢字を使っている国だからこそ言葉づかい、ことばの表現には注意したいものです,その反面、日本文化は漢文化と深い繋がりを持っていますから、共通する言語表現も沢山有ります。「患難与共(患難を共にする)」とか、「狐假虎威(虎の威を借りる狐)」、「虎視眈々(こしたんたん)」、「火中取栗(火中の栗を拾)」、「堅忍不抜(けんにんふばつ)」、「単刀直入(たんとうちょくにゆう)」、「不入虎穴、焉得虎子(虎穴に入らずんば虎の子を得ず)」、「勢如破竹(破竹の勢い)」、「聞―知十(一を聞いて十を知る)」、「黄梁―夢 (黄梁一炊の夢)」、「有其父必有其子(此の親にして此の子あり)」、「歳月不侍人(歳月人を待たず)」、「百聞不知―見(百聞―見に如かす)」、「敗軍之将不言(敗軍の将、兵を語らず)」など中国人も日本人も普段ごく当たり前に引用している諺ですが、多少漢文の素養のある日本人なら更に更に多くの中国(と共通)の諺を見いだすことが出来るでしょう。同時にそれぞれの文化は、それぞれ違った歴史を背負っておりますから、その表現にも自ずと違ってきます。「いざ鎌倉」と言われても日本有歴史を知らない中国人には分かりませんし、日本の落語が分からなければ「目黒の秋刀魚」と言われても何のことか分かりませんし、「江戸の仇を長崎で」と言われても分かってもらえません。また、それぞれの風土と社会の中に生活しているのですから、「花より団子」と言われても、「二階から目薬」、「棚からボタ餅」と言われても中国人には分かってもらえません。中国流で言うなら「花より団子」は 『眼福不如口福』となりましょうし、「二階から目薬」は『杯水車薪』、「棚からボタ餅」は『五福自天来』と言ったところでしょうか、「所変われば品変わる (百里不同風、千里不同俗)」で言葉というものは、それぞれの文化を背景にして初めて成り立つものであることを知っておくべきでしょう。以上のことから国際化と言うことは、お互いに相手の文化を確認し合うところからスタートすべきことを言葉の面からも分かっていただけたかと思います。
簡体字 (略字)と和製漢字 (国字)
簡体字というのは中国の略字のことで、とくに新中国建国以来逐次簡略化された漢字のことを言います。漢字の簡略化は日中両方で行われており,その起こりは共に漢字の点や画が多すぎ、記憶するのも筆記するのも大変だということから民間で自然発生的に点や画を減らすところから始まったものです。日本では本字を正字と言い、それに対し点や画を簡略にした文字を略字と呼んでいますが、中国では正字を繁体字、略字を簡体字と言っています。日本では長い歴史の中で、広く民間で使用されるようになった簡略字を国語審議会で審査した上、認定されたものを略字として正式に活字化していますが、中国では抗日戦争ならびに解放戦争の中で文盲や半文盲の幹部や兵士の文化レベルの向上と仕事の効率を高める必要上、画の多い煩雑な漢字の画を減らし、同じ音の文字を画の少ない文字に統―することから簡体字が解放区で広く使われていました。新中国建国後、その基盤に立って、標準語(北京語)の普及と文盲の一掃をさらに全国的に展開する必要上、『文字改革委員会』という政府機構をつくり人為的に点や画を減らし、簡体字を規範化し、その普及に努めました。四回にわたり「国定簡体字案」が発表施行されましたが、最後の一回は「文化大革命」という非常事態の中で発表されたため公式には認められずに終わりました。しかし、中国における漢字の簡略化はラテン文字化 (ローマ字化)の一環として位置づけられたもので、日本における略字化とは発想を全く異にするものでした。従って簡略の手法も、単に点や画の簡略にとどまらず、音を共にするものを―字に(画の少ないはうに)統一するような極端な手法が用いられました,たとえば、北京語では「午」の音と「舞」の音が同じところから「午」の字に併合されて「舞蹈」を「午蹈」と書くようになりましたので、漢字に慣れ親しんできた日本の人たち、さらには旧い中国語を習ってきた日本の人たちにとっては大変迷惑に思われたようです。もう一つは、偏や旁の簡略化が誤解を招いたようです。たとえば言偏が「言」、金偏が「金」、食偏が「食」、車偏ガ「车」と言ったように略されるとイメージが変わってしまい戸惑いすると言うこともあるかと思います。「話」が 「话」、「綱」が「刚」、「飲」が「饮」といった略字が続きますと戸惑ってしまうかも知れませんが、偏や旁の略を見えてしまえば戸惑うこともなくなります。「豊」が「丰」、「書」が「书」といった甚だしい簡体字がありますが、これは草書から来たもので、多少書道の心得のある方にはすぐ分かっていただけるかと思います。中国の簡体字については専門書も出ていますので詳しいことは割愛させていただきますが、五万字はあると言われる漢字の中で簡略化されたのはほんの僅かで、数の上から言っても漢字に根本的変化をもたらすようなものではありません。唯、それが頻度の高い常用漢字に集中したがためにいろんな憶測を呼んだのです。略字問題については、曾て日本側の学者から共同研究したい、両国で共通の略字を持ちたいとしぅ提案がなされましたが、漢字の簡略化の目的を異にする中国との間では合意に達することはありませんでした。中国における漢字の問題は、いま見直される時期に来ています。毛沢東が曾て夢に描いた「ラテこ文字化」が理に適ったものではないことは明白で、これに基づいで立案きれだ簡体字は再考を余儀なくされるでしょう。行き過ぎた簡体化をどのようにして是正していくかということが課題になってくるでしょう。もちろん既に施行されている簡体字をすべて否定し白紙に戻すというのではありません。確かに当初の(最終)目的には問題がありましたが、漢字の適度の簡体化は漢語(中国語)改革の一部として新しい位置づけがなされる時期に来ています。漢字(表意文字)の持つイメージを破壊するような簡略化は撤回すべきですが、画の多い漢字に対してはイメージを損なわない範囲で簡略化していくことは時の流れに沿ったものと言えるでしょう。すでに「文字改革運動」の中で簡体化されたものでも理に適ったものは当然認められてしかるべきだと思います。問題は新たな基
を作り、それに基づいて再確認することでしょう。
台湾では簡略化は行われず、依然として本字(正字)を堅持していますが、ここ数年、民間では略字も徐々に使われるようになりつつあります。「臺湾」、「學術」では如何にも時代錯誤で困る人も多いことかと思います。返還を控えた香港では台湾ど同じく本字が使われていますが、シンガポールやマレーシアでは中国本上と同じく簡体字が便われています。もっとも高齢者のために―部本字を併用しでいますが、若い人たちの間では専ら簡体字が使われています。台湾はさておき、本土により近い香港で本字が、遠く離れたシンガポールでは簡体字が使われるのは何故でしようか,ともあれ漢字圏の略字が統一されれば文化の交流にもいっそう役立つと思うのですが…。朝鮮や韓国ではハングルが用いられていますが、名前だけは漢字で書くようです。「書」も漢字で書かれた漢詩が中心で、ハングルで書かれた「書」はあまり見かけないようです。韓国でも中国との国交が正常化きれてからは漢字が見直され、漢字の使用が増えつつあります,今後の方向として「漢字.ハングルまじり文」に移行していくのでばないでしょうか。その場合、略字はどう扱われるのでしょうか。興味深いことではあります。
日本では、中国から輸入された漢字以外に漢字の形を真似で造った国字というのがあります。ほとんどの日本人は漢字と同等に扱い、あまり国字としての意識は持たないようですが、漢字ではないのですから、やはり国字意識を持ってもらいたいものです。よく見かける国字には「辻」「畠」「働」「畑」「峠」などですが、実は想像したより多く、諸橋の≪大漢和辞典≫(全13巻、48,902字収録)の中から、「国字」と注記されているものを抜き出してみると、141宇ある。国字を収録した最も旧い僧昌住の『新撰字鏡』(昌泰年間898-901成立)小学篇字では400余文字を数えるが、まだ認定の手続きや定義づけが十分なされていないため正確に定めることができません。国字に対する検証したもっとも一般的、中心的なものとして、新井白石の『同文通考』、伴直方の『国字考』、岡本保孝の『懐手放』などが挙げられますが、伴直方の『国字考』の119字の分類を見ていただくのがもっとも手っ取り早いと思いますので、次にその七部門を挙げておきます。
天地部(杣、峠など11字)
人倫部 (船、蚕など5字)
衣食部(櫸、樺など6字)
器財部(腺、錠など13字)
草木部(榊、栂など17字)
鳥魚部(鴫、鳩など45字)
言語部(扨.など22字)
となっています。以上からもどんな文字が国字として新たに造られたのか垣間見ることが出来るかとおもいます,やはり日本の独特の自然に関するものが多いようです、草木類17、鳥魚類45で半数以上を占めます。言語部が次に多いのは和語の特徴を示すものでしょう。これらの和漢字(国字)には訓読しかなく、音読がないところからも、その性質を知ることが出来ると思います。多くの漢字には音読みと訓読みの二つがありますが、訓読みを施そうと思っても施すに合致した漢字のないときには国字を造らざるを得なかったようです,それにしても漢字を模倣して造ったということは、漢字文化二の繋がりの深さを思わせます。
日本の外来语、中国の外来语
日本にとっては漢字、漢語も元はといえば外来語でありました。漢字は外来字でありカタカナ.平仮名は漢字の偏や造り、そして漢字の草書を元にして作られだ表音文字です。しかし、今の日本人は漢字、漢語を外来字、外来語とは思っていません。長い年月の間に大和言葉の中に溶け込んでしまい、全く違和感を感じなくなったのです。大和言葉は漢字、漢語のおかげで爆発的に豊になりました。このことは―面外来話に著しく寛容な性格を作り出しました,漢字、漢語は、ある時期に一度に日本語に移入されたのではありません。それは漢字の音読に漢音あり、唐音あり、呉音あり、地方音ありで各朝代に、中国の異なった地方から伝来したことからもわかります。そして、それが仏教の伝来と深く関わっていることも、その伝承と分布からも分かります遣唐使、遣惰使に伴った学問僧の派遣は奈良、飛鳥、平安朝の文化の発展に大きく気よしました。漢語が大量に移入されたのもこの時代です、当時の寺院仏閣の僧侶の間で、あるいは朝廷の高級官僚の間で漢語が通用したことも決して不思議ではありません。しかし、当時漢語は上層階級の間でのみ行われ、庶民の間には浸透していませんでした。鎌倉時代に至り栄西が宋代の臨済宗黄龍派の禅を広め各地に禅寺の建立を見てから仏教ははじめて庶民有中に浸透していきました。同時に禅宗の文化、特に漢語文化が民間の中に普及していつたのもこの時期です。それは中世末に編集された代表的辞書である頓要集、下学集、接壌集、類集文字抄、運歩色葉集、節用集などをひもヒけば明らかなことです。その中で現在も行われているもの、すでに使用されなくなったものなどいろいろですが、ここでは現在も日、中両国が享用しているものの中から日常よく使われるものを拾ってみましょう。食堂、書院、浴室、廊下、書記、点心、椅子、如意、帽子、鰻頭、羊羹、素麺、段子など宋、元の文化が直輸入大きれていたことがその発音からも分かります。(ここで宋、元の発音についで説明する時間がありませんので割愛します)そして、ぞれが仏教とはあまり関係のない日常生活用語であることもおもしろい現象ですが、裏返せば禅宗は民衆に根差していた証だと言うこともできます。それ以前に伝来したものの多くが縁起、因果、餓鬼、畜生、地獄、極楽、成仏、無明、内証なビ、そのほとんとが宗教、思想面に関する漢語であることと思い合わせると禅宗の伝来とその普及にともない生活漢語がいかに庶民の間に浸透したかがわかります。
このように外来語の移入と受容にはなれているはずの日本人ですが、幕末にいたり、黒船の襲来による文明開化の当初においては、押し寄せる西洋文明を吸収するに当たり当時のアメリカ、ヨ-ロッバからの外来語をカタカナ書きしませんでした。当時の知識人は、先ずその内容をよく理解した上で、表意文字である漢字で和製漢語を作っていったのです。すなわち意訳したのです。鉄道、汽車、自動車、電気、電話、万年筆、背広などの生活用語から経済、法律、弁護士、教育、社会、進歩、流行、構造、規則、文学、科学、批評、などの社会用語、そして思想、概念、対象、感性、幻想、理念、理想。黙示、主観などの抽象語にいたるまで、そのほとんどを漢語に訳して用いました。エレキ(電気のこと)だとか、シャッポ (帽子)だとかいったカタカナ表記がなかったわけではありませんが、漢字になれた日本の人たちにとっては、やはり漢訳された和製漢語のほうが理解しやすかったのでカタカナ表記は姿を消していきました。もちろん、その後大正、昭和と時代が進むにつれてカタカナ表記が復活し、更に新しく多くのカタカナ表記の外来語が取り入れられ、和語、漢語とならんで日本語を構成する三大支柱の一つとなりました。
そして、和製漢語の多くが中国に逆輸入され、現在の中国では抵抗もなく使われているというのも面白いことです。社会主義、革命、共産党まで和製漢詩なのですから驚かされます。もちろん和製漢語の全部が逆輸出されたのではなく、また和製漢語を参考にして中国で作られたと思われるものも多くあけます。例えば自転車は自行革、鉄道が鉄路、弁護士が律師、郵便局が郵局など探せはたくきんあると思います。逆に中国の漢訳外来語の例に習って作られた和製漢語も少なくありません。その多くは日本で英和辞典が作られる前に中国(当時の清朝)で出版されだ英華辞典によるものでした。また、中国の古典語からの転用も少なくありません。たとえば思想という語彙ですが、曹操の「精列」の中に「思想昆侖居」(昆侖の居を思う)というのがありますが、ここでの「思想」は「思う‥懐かしむ」という意味の動詞で現在の「思想」という名詞ではありません,また、東皆の 「捕亡詩、由懐」の中に「文化内輯 武功外悠」(文化内に輯ぎ 武功外に悠なり)というのがありますが、ここの「文化」は「武功」に対する「文化する」という動詞であったものを借りてcultureの訳語としたのです。このような例は調べていくとたくさんありますが、時間の都合上ここでは省略させていただきます。
幕末以前にもカタカナ書きの外来語がなかったわけではありません。安土、桃山時代にキリシタンが日下に入ってきました,キリシタンの伝来と共に当時最先端を行くポルトガルの文化が紹介され、バテレン、ゼウスなビのキリシタン用語のほかにもシャボン、タバコ、カルタ、カラメル、ランセルなどの生活用語がカタカナ書きで登場しています。もっとも当時は平仮名書きも行われていたので外来語は全てカタカナで書かれたわけでは
ありません。その後、日本では明治、大正、昭和と時代が進むにつれて外来語も直接近似音でカタカナ書きするようになりましたが、戦前まではそれほど多くはありませんでした,太平洋戦争が始まってからは外来話は敵性語だと言うことで―帰された時代もありました,カタカナ書き外来語が著しく増えたのは戦後50年の間です,その多くは英語、フランス語、イタリヤ語、ドイツ語からの音訳、その90%が英語とくにアメリカ英語からの
音訳だと言っでも過言ではないでしょう。更には、タオルケット、スリーサイズ、コレクトマニア、コストアップ、コスメティックのような和製外来語に加えて、固体ロケット、第三セクター、パソコン通信、モーゼル銃、朝シャン、塩化ビニールのような漢洋折衷型語彙も大量に排出されています。同時に激写、激安、激辛、特売のような和製漢語も引き続き造語されその健在さを誇っています。
では、中国ではどうでしょう。漢字だけを使用する中国においては日本のように簡単だカタカナ書きするわけにはいきません,基本的には意訳されるのが普通です。コンピューターは「計算機」あるい「電脳」、ワープロは「文字処理機」といった具合ですが、音訳が全くないわけではありません。地名、人名は意訳するわけにいきませんので漢字の近似音で表記されます。しかし、できるだけ美化するように心がかけます。アメリカは「美国」、イギリスは「英国」、ボルトガルは「葡萄牙」、フランスは「法国」、フィンランドは「芬蘭」、ウェリントンは「惠霊頓」、ボンは 「波恩」、カトマンズは「加徳門満都」、ワシントンは 「華盛頓」と言った具合に出来るだけ美しい漢字を使うよう心がかけます。また、サンドウィチは「三明治」、バレーは「芭蕾」、ゲーテは 「歌徳」など食品、芸術、人名などもそうです。最近は内容により美化したり象徴化する傾向がとくに目立ちまず。例えばコカコーラを「可口可楽」(口に楽しい)、ミニスカートを「迷你裙」(貴方を惑わすスカート)、マルボーロな「万宝楽」(宝に包まれた楽しさ)、シルトンホテルは「喜尔登飯店」(登って嬉しいホテル)、スブライトを「雪碧」「雪のごとく透明)といった具合です。外来語に対処する姿勢にもそれぞれの国民性がよく現れているよりに思えます。
風土と言葉
大陸である中国と島国である日本とでは言葉の上でも大きく違っできますし、それぞれの特徴が端的に現れできまず。半島があり岬があり、その先に鼻が為るのが日本の海岸線ですが、大陸である中国ではそんな細かい区別はしません。半島の一話あるのみです。「沖のカモメ」といいますが、「沖」と言う概念は中国にはありません。「海上」で全でが包括されてしまいます「峠」や 「辻」、「始」などは和製漢字で寸から中国にはありません。強いて訳せば「山口」、「十字路口」と言うことになりましょうか。漢字は中国で作られたものですから、和製漢字(国字)を除いてすべて中国にあります。しかし、その意味内容は必ずしも同じではありません。ところ変われば品かわるで、宮島水道でよく見かける鮨と言う魚がおりますが、丸太のような胴体をしています。中国にも鮨がいますが50センチほどの縞のある薄っぺらい魚です,似て否なるものの例えにもなりそうですが、驚いたことには日本の鮨はオボコ->イナ->ボラ->トドと、その成長期に応じで呼び名が変わります。焼いておいしい獅もイナダ->ヮラサ->ブリ->ハマチと成長とともに名前が変わります。鮨もセイゴ->フッコ->スズキと呼び名が変わります。鮨は中国では魚の名前でクエのことですが、中国に鮨(すし)がなかったわけではありません,もっともシヤリの上に生物を乗せるのではなく、生物を直接食べる習慣で、史記、伯夷傳によれば初めは生の鳥や獣の肉、ひいては人間の肝臟まで「瞺」(さしみ)」にして食べたと書かれてますが、後には魚が主流になり、宇も魚偏に変わり「魚會」となったという次第です。ですから馬さしや牛刺しはとっくの昔に中国で食べられていたわけで、それも明代あたりまでは盛んに食べられていたようです。ただ調味料が日本では山葵(ワサビ)醬油であるのに対し、中国では姜、葫(ニンニク)に酢醤油を加えたものだったようです,途中で食べなくなったのは、そのほとんどが淡水魚だったために寄生虫が多く、病に倒れるものが続出したからのようです,それでも南の広東省や福建省などでは解放までは檜(さしみ)が好まれていました,解放後は衛生上よくない(寄生虫防止のため)と言うので禁止されております。胎?檜 は日本では「なます」の当て字で、細切りして甘酢で和えたものの総称です。所変われば品変わるとは申しますが、ルーツを探れば共通する面が多いのも中日両国の文化、そして言語、コトバではないでしょうか。
漢字の造語力はついて
漢字は造語力のまことに強い文字です。漢字は広範に使用されている文字としては唯一の表意文字です。一つの文字が音を表すと同時に意味をも表します。ということは文字と文字を組み合わせることによって無数の複合語彙を造り出していきます,前にも述べました通り幕末から明治にかけて日本人は漢字を用いて多くの和製漢語を造りました。その傾向はいまだに続いています。毛沢東はいみじくも漢字は画が多くて覚えにくいからと言うので文字の改革を考え、中国語のローマ字化を試みました。そしで内閣クラスの『文字改革委員会』と言う政府機関を作り、段階的に漢字をローマ字に置き換えようとしました。その手始めとして漢字の簡体化、すなわち略字化を推し進めました。毛沢東はやがて来るコンピニーダ時代を予測し漢字はコンビュータ化を妨げるものと考えたのです。中国の漢字の略字化は日本の人たちを戸惑わせていますが、確かに大きな問題を孕んでいます。一概に略字が良くないと言うのでは有りませんし、現に日本にも和製略字がたくさんあります,漢字は確かに画が多く見えにくい―面を持っています,ですからイメージを損なわない程度に画を少なくする必要はありましょうが、その漢字の姿をまったく変えてしまうことは表意文字、象形文字としての本質を失ってしまうことになります。
毛沢東さんがコンビュータ-時代を予測したことは流石でしたが、漢字がいかにコンビューターに馴染むかと言う点については考え及ばなかったようです。漢字は昔ばかりでなく同時に意味まで表しますからコンビュータに打ち込むのに非常に時間の節約になるのです。ちょっと考えれば分かることですが、一ベージの中国文を英語に翻訳すると3ベージになってしまいます。もし中国語をローマ字化していたら3倍まで行かなくても2倍は時間がかかったでしょう。
さて、和語はどうでしょうか,造語力から見るとはなはだ芳しくありません。恩師の金田一春彦先生がこんなことを言ったことがあります。コレラを和語に直すと「ウエカラシタカラコクヤマイ」となるそうです。ですから和語プラス和語と言う公式はなかなか成り立たないのです。和語が複合するとき多くの場合、和語プラス漢語(漢語ブラス和語)の形をとります,「歯医者」の 「ハ(歯)」は和語ですが 「医者」は漢語です。全部和語で言うなら「ハヲナオスヒト」となるでしょうが、これでは暧昧です,医者が患者かがこれだけでは分からないのです。関係をはっきりさせるためには 「ハヲナオシテヤルヒト」と更に長くなります,日本人は利口ですから漢語を借りて「ハ医者」にしてしまったのです。デパートのことを「百貨店」と言いますが、和語で言うとどうなるでしょう。多分 「いろいろなシナモノをウルミセ」となるでしょう,「萬屋(よろずや)」と言う語はありますが、ちょっと意味が違うようです。最近では漢語「超」のうしろに和語をつけるコトバが特に若い人の中で使われています,「超安い」、「超おもしろい」などがそうです。日本における新しい語彙の生成は、和語ブラス漢語というパターシだけではありません。前にも例を挙げましたように外来語プラス和語(はブラシ、あづきアイス、スビード仕上げ、中敷きカーペット、合挽きミンチ、鰹バック、叩きブロック.リピングこたつ.枕カバーなど)、外来語ブラス漢語(野菜サラダ、食パン、電子レンジ、振動ドリル、炊飯ジャー、硬質ブラスチック、収納ボックス、レ-ダ―探知機など)、外来話プラス外来語 (キッチンタオル、フリ-ダイヤル、ミルクココア、ジャンパースカート、トマトケチャッブ)などいろいろな形による造語が行われています。確かに新しい時代を反映した言葉の需要に対応していく必要はありましょうが、やたらにこ語彙数を増やすことには賛成できません,今ある日本語で意志の疎通は十分行えるのですから必要以上の造語は日本語に混乱を招くことになりかねません,中国語では今のところこんな問題は起こっていないようですが、今後の間題として注意して行かねばならないでしょう。
中国の外来語と和製漢語
中国語に外来語が幾つくらいあるだろうかということは、外来語に対する定義によっていろいろ変わってくるのでしょが、中国語を狭義に漢語としてとらえた場合、1万語を超えるものと思われます。中国には漢語以外にモンゴル語、朝鮮語、ウイグル語、コザック語、チベット語など少数民族の言語がありますが、これらの少数言語で漢語の中で使われているものも当然外来語としての取り扱いを受けます、中国語の外来語の中で最も多いのは当然のことながら英語を音訳したものです。例えば「阿富汉尼」(afghani),「各里司林」glycerin)。浪漫(roman),派司(pass),曲奇饼(cookie)などがそれです。また仏教用語としで蘇利耶(太陽),達磨(ダルマ)。護摩(火祭り)なども外来話として取り扱われています。
その中で極めて特異なのは和製漢語です。和製漢語は前述のように江戸末期から明治初期にかけてョ―ロッバ文化を急速に取り入れる必要上、漢字あるいは古代漢語を参考にして日本で作られた新しい漢語のことです。日本語の中でも外国語を意訳して作られたのだから、ある意味では外来語かもしれないのですが、誰も外来語だとは思っていません。しかし、語彙分類上「和製漢語」ということで一項目設けられています。これは漢字で造語されていますが、漢語(中国語)ではありません。この「和製漢語」が徐々に中国へ逆輸出され、中国の外来語の一部になっているのは面白いですね。ただ、今では漢字なので、中国では日本の人たちが漢字語を外来語だと思わないように、誰も(言語研究者を除いて)外来語だなどとは思っていません。もつとも言語学者の間では、ここ30年くらいの間徐々に研究がはじめられ、一定の成果が得られていますし(漢語外来詞詞典など)日本でも飛田良文氏などによる研究がおこなわれ、技術用語のなかの和製漢語と限った上での辞書などの出版も行われています,しかし、原始資料の不足と追跡が難しく、今後の研究には多くの労力と時間が必要となってくるでしょう。
そこで、先ず中国に逆輸入された(和製)漢語がどれくらいあり、どういう性質のものが多いかを探ってみることにしました。下の表は上海辞書出版社から1984年12月に出版された『漢語外来詞詞典』の中から和製漢語を拾ってみたものです。もちろん完全なものではないことをお断りしておきます。
A音
安打 安質母尼(ANCHIMONI) 暗示 奥巴桑
B音
波長 博士 博物 不動産 不景気
C音
才 財閥 財団 採光 參觀
參照 蒼鉛 曹達 策動 插話
茶道 長波 常備兵 常識 場合
場所 親衣 成分 成員 承認
乘客 乘務員 寵兒 抽象 出版
出版物 出超 出発点 出口 出廷
初夜權 処女地 処女作 儲藏 儲蓄
觸媒 伝染病 刺激 催眠 催眠術
時 錯覚
D音
打消 大本營 大局 大気 大熊座
大正琴 代表 代言人 代議士 貸方
単純 単利 単位 単行本 単元
但書 蛋白質 導火索 道具 德育
登記 等外 低調 低能 低能兒
低圧 敵視 抵抗 電報 電波
電車 電池 電話 電流 電子
動產 動機 動力 動力學 動脈
動態 動議 動員 獨裁 讀本
讀物 隊商 対象 対照 二重奏
F音
発明 法律 法人 法廷 法則
番號 反動 反感 反響 汎神論
範疇 法案 方程式 方式
方針 非金屬 分解 分配 分析
分子 雰囲気 風琴 風位 風雲兒
封建 封鎖 否定 否決 否認
浮世繪 服務 服用 輻射 附著
複式 復員 複製 副官 副食 副手
G音
改編 改訂 概括 概略 概念
概算 感性 幹部 幹事 幹綫
綱領 高潮 高利貸 高爐 高射砲
高周波 歌劇 歌舞伎 革命 工業
攻守同盟 弓道 公報 公稱 公立
公營 公債 共產主義 共和 共鳴
固定 固體 故障 關係 觀測
觀點 觀念 觀照 光年 廣場
廣告 廣義 規範 規那 規尼涅(圭寧)
規則 國際 國教 國庫 國立
國事犯 國稅 國體 過渡
H音
寒帶 寒流 航空母艦 號外 和服
黑死病 孤光 化學 化妝 環境
幻燈 幻想曲 回收 會話 會社
會談 活躍 火成岩
J音
機關 機關砲 機械 積極 基地
基調 危督 危督教 氣質 基準
吉他 終結 集團 集中 計劃
記號 記錄 技師 加答兒 加非()
加農砲 仮定 仮分數 仮名 仮想敵
尖兵 尖端 堅持 檢波器 簡單
間接 間歇泉 間歇熱 健質亞娜 講師
講壇 講習 講演 講座 交感神經
交換 交通 交響樂 膠着后 腳本
腳光 教科書 教授 教養 教育學
酸素 階級 接吻 節約 結核
解放 解剖 介入 金額 金剛石
金婚式 金牌 金融 金糸雀 緊張
經濟 經濟恐慌 經濟學 經驗 精神
景氣 警察 警官 凈化 浄瑠璃
靜脈 競技 就任 拘留 巨匠
巨獎 巨星 具體 俱樂部 劇場
決算 絕對 覺書 軍部 軍國主義
軍籍 軍需品
K音
看護婦 看護 看守 抗議 科目
可鍛鑄鐵 可決 克服 客觀 客體
課程 肯定 坑木 空間 會計 擴散
L音
浪人 勞動 勞動者 勞動組合 勞作
累減 累進 類型 冷藏 冷藏車
冷戰 哩 理論 理念 理事
理想 理性 理智 力學 立場
立憲 例會 連歇 量子 了解
列車 淋巴 臨床 領海 領空
領土 流感 流體 流線型 流行病
流行性感冒 倫理學 論理學 論壇 論戰 落選
M音
碼 麥酒 脈動 漫筆 漫画
漫談 盲從 毛細管 媒質 美感
耗 免許 民法 民主 敏感
明確 命題 默劇 默示 母體
母校 目 目標 目的
N音
內分泌 內服 內閣 內幕 內勤
內容 內在 能動 能樂 能力
能率 擬人法 年度 暖流
O音
偶然
P音
派遣 俳句 判決 陪審 陪審員
配給 批評 品味 平假名 評價 坪
Q音
旗手 騎士 企業 氣氛 氣密
氣體 汽船 契機 牽引車 鉛筆
前提 前衛 前線 錢 釬
強制 侵犯 輕工業 清教徒
清算 情報 情操 取締 取消
權威 權限 權益
R音
熱帶 人格 人力車 人權 人文主義
人選 任命 日程 日和見主義 溶媒
熔體 柔道 柔術 肉彈 入場券
入超 入口
S音
三味線 商法 商業 上水道 少將
少尉 社會 社會學 社會主義 社交
社団 攝護線 身份 神經 神經過敏
神經衰弱 審美 審判 審問 升華
生產 生產關係 生產力 生理學 生命線
生態學 余剩價值 失戀 失效 施行
施工 時計 時間 時事 時效
実感 実際 実權 実業 士官
世紀 世界觀 市場 市長 事變
事態 事務局 手工業 手續 手榴彈
受難 輸出 輸尿管 輸入 水成岩
水蜜 水素 水準 私法 私立
思潮 思想 死角 訴權 素材
素描 素質 速度 速記 隨員
所得稅 所有權 索引
T音
他律 台車 碳酸加里
碳酸瓦斯 深海燈 探險 探照燈 特長
特權 特務 體操 體育 天鵝絨 天主
條件 鐵血 通貨膨脹 通貨收縮 同情
統計 投機 投影 投資 図案
図書館 退化 退役
W音
瓦 瓦斯 外分泌 外動 外在
唯心論 唯物論 衛生 味之素
胃潰瘍 尉官 溫床 溫度 文化
文庫 文明 文學 沃典傲姆(沃度)
沃素 無產階級 無產者 舞臺 物理
物理學 物語 物質 悟性
X音
喜劇 系列 係數 系統 狹義
下水道 銑鐵 現金 現實
現象 現役 憲兵 腺 相對
想像 象徵 消防 消費 消化
消火栓 消極 小型 小熊座 小夜曲
校訓 效果 協定 協會 心理學
新聞記者 信號 信托 信用 興信所
猩紅熱 刑法 形而上學 性能 虛無主義
序幕 序曲 宣傳 宣戰 選舉
旋盤 學府 學會 學歷 學士
學位 血色素 血栓 血吸蟲 巡洋艦
訓話 訓令 訓育 詢問
Y音
圧延 圧延機 雅樂 亞鉛 研磨機
演出 演說 演習 演繹 演奏
燕尾服 羊羹 陽極 要素 野兔病
業務 液體 醫學 遺傳 義務
議決 議會 議員 議院 藝術
異物 疫痢 藝匠 意識 意義
意尺 因子 陰極 音程 銀行
銀婚式 銀幕 銀翼 引渡 印鑒
印象 榮養 影像 優生學 油槽車
遊離 遊弋 右翼 語源學 預備役
預後 預算 元帥 園藝 原動力
原理 猿樂 遠足 運動 運動場
原作 愿意 原則 原子 原罪 運転手
Z音
債權 債務 展覽會 戰線 真空管
哲學 陣容 證券 政策 政黨
支部 支配 支線 知識 直接
直徑 直覺 直流 止揚 紙型
指標 指導 指數 窒扶斯 窒素
制裁 制限 制御器 制約 質量
中將 終點 仲裁 仲裁人 重曹
直接 重點 重工業 株式會社 燭光
主筆 主動 主觀 主人公 主食
主體 主義 注射 專賣 轉爐
資本 資本家 資料 紫外線 自律
自然淘汰 自由 自治領 宗教 總動員
總理 總領事 組成 組閣 組合(組合)
組織 最惠國 左翼 作品 作者 座談 座藥
以上、中国語のなかの和製外来語なので配例は中国の音標に従いました。漢字によっては中国現行の簡体字にすべきですが、日本人には分かりにくいでしょうから日本の常用漢字を使いました,分かりにくい語彙は括弧の中で補足しました。
さて、こう見てくると随分多くの和製漢語が中国に輸出されたことになりますが、きらに多くの和製漢語が日本国内で作られ使われていることになります。ここに集められた中国に輸出きれた和製漢語は主に≪漢語外来詞詞典≫からのもので、決して完全なものではありません,それでも798語あります。その中でどんな語彙がいちばん多いかと言いますと、社会経済関係の語彙(財閥、代議士、法律、不景気、会社、経済、抗議、協定、労働、投機、清算、民主、商業など)が242語で、次が科学哲学関係の語彙(技師、理想、教授、倫理、旋盤、理知、神経、流行病、進化論、批評、酸素、唯物論、速度、衛生、思想など)で127語ありました。ということは当時中国(清末)がおかれていた歴史環境が社会全体の改革に迫られていたことを物語っていると言っていいでしょう。当時の中国は、日本の明治維新の頃と同様、欧米の新しい文化の吸収に大わらわでした。しかし、遠く離れたヨーロッパやアメリカから学ぶよりも、維新を径験している日本から取り入れるほうが手っ取りばやいと考え、多くの留学生を日本に派遣すると同時に日本からも専門家を招き、新しい文化、科学、技術を取り入れることに専念しました。コトバの面でも、欧米語を翻訳するよりも既成の和製漢語をそのまま拝借したほうが手っ取りばやく、それが漢字であったために抵抗もなく受け入れられたのです。和製漢語についてはまだ分からないことが沢山あり、今後の研究に待たなければなりません。